「大谷選手をあまり見なくなった」その一言に、うなずいた
最近、あるSNSの投稿を読んで、思わず「そうそう!」と声が出そうになりました。
書かれていたのは、「大谷翔平選手をあまり見なくなった」という一言です。
僕自身も、一時期に比べて、大谷選手のニュースをそこまで
熱心に追わなくなっている自分に気づきました。
投げても打っても世界一、唯一無二の存在。
日本人として誇らしい選手であることは、今も変わりません。
それなのに、なぜ「燃えなくなった」のか。
振り返ってみると、その前のワールドカップのときも、
オリンピックのときも、
そして今、始まったばかりの甲子園も、
同じように「あ、始まったんだ」くらいの温度感になっている自分がいます。

なぜスポーツばかりが、こんなに大きく報道されるのか
「見なくなった理由」を自分なりに考えていくと、
行き着いたのは、まったく逆の疑問でした。
「なぜこんなにもスポーツばかりが、
大きく取り上げられるのだろう」ということです。
マスコミの在り方について、いろいろと考えてしまいました。
環境のこと、介護のこと、教育のこと、少子高齢化のこと、フードロスのこと、
なぜこれほど鬱で悩む人が多いのか、経済優先と言われがちな社会のあり方。
どれも、これからの日本の未来、そして地球の未来がかかっている、
本当に大きな問題ばかりです。
それなのに、スポーツの熱狂の裏で、
こうした大事なテーマがうまく覆い隠されているのだとしたら――
そして僕らは、その熱狂にうまく乗せられているだけなのだとしたら。
ちょっと怖いことのようにも感じます。
海外の報道と比べても、日本はスポーツへの熱狂ぶりが際立っているように感じます。
派手なニュースが連日流れる裏側で、
知らないうちに大事なことが決まっていく。
そんな違和感を、そろそろ一人ひとりが持ってもいいのではないかと思うのです。

テレビの向こうより、自分自身と向き合う時間を
もう一つ、僕が思うのは、偏った報道に振り回されるより、
自分自身を見つめ直す時間を持つことの大切さです。
これからの未来のこと。
家族のこと。
少子高齢化が進む社会で、僕ら一人ひとりがどう暮らしていくのか。
捨てられていく食べ物と、その一方で困っている人がいる現実。
そして、もっと大きな、地球規模のこと。
今後どうやって生きていくのか、本当に自分の頭で考える時間は、
日々の忙しさの中でどうしても後回しになりがちです。
でも、大谷選手の活躍や甲子園の熱戦に一喜一憂するだけでなく、
たまには立ち止まって、自分は何を大切にしたいのか、
家族とどう向き合いたいのか、この先の社会でどう生きていきたいのか――
そんな問いを、自分自身に投げかけてみる時間があってもいいのではないでしょうか。

まとめ:違和感を、笑いながら大切にする
「大谷選手も、甲子園も見なくなった」という、たった一つの気づきから、
こんなにも色々なことを考えさせられました。
スポーツ観戦そのものを否定したいわけではありません。
応援したい気持ちも、もちろんあります。
基本、ぼくも好きですから。
ただ、報道に「うまく乗せられている」だけの自分に、
少しだけ気づけたような気がしています。
少子高齢化、フードロス、環境、教育、心の健康――
これからの未来がかかった課題は、まだまだたくさんあります。
違和感を持つこと。
立ち止まって考えること。
それはきっと、これからの自分の生き方を、
自分自身の手で選び取っていくための、大切な一歩なのだと思います。
真剣に考えながらも、深刻になりすぎず、笑いも忘れずに。


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