私には価値がない——
そう思ったことはありますか。
私には何度もありました。
吃音でうまく話せない。
鬱で動けない。
仕事から逃げた。
名前まで変えた。
でも57歳になった今、
はっきり言えることがある。
あなたが存在するだけで、それはもう価値がある。
26記事目から書き続けてきたこのシリーズの締めくくりに、
一番大切なことを話させてください。
ブログを書いて、30年前の自分に会いに行った

このシリーズを書き始めてから、不思議なことが起きた。
30年前の記憶が、次々とフラッシュバックしてきた。
英語もゼロのままニュージーランドに飛んで、
空港で頭が真っ白になったあの瞬間。
バックパッカーズホテルで誰とも話せず、
孤独で押しつぶされそうだった夜。
「日本に帰りたい」と何度も思いながら、
それでも帰らなかった日々。
書くことで、27歳の自分に会いに行けた。
そして気づいた。
あのとき逃げた自分を、今の私は責めていない。
むしろ、ありがとうと言いたい。
逃げたから気づけたことがあった。
失敗したから見えてきたものがあった。
過去は変えられないけれど、
過去の意味は変えられる。 書くことが、そのことを教えてくれた。
学校の点数で、自分の価値を決めていた

子どものころから、点数で評価される世界で生きてきた。
100点なら褒められる。
20点なら怒られる。
いつの間にか、点数=自分の価値だと思うようになっていた。
吃音があった。
うまく話せない自分は、
みんなより「点数が低い」と感じていた。
人前でどもるたびに、また減点された気分になった。
練習しても大事な場面で出る。
努力しても変わらない。
なんで自分だけ——その感覚が、
じわじわと自分の価値を削っていった。
でも今思えば、その「点数」は誰かがつけたものじゃなかった。
自分が自分につけていた点数だった。
その壁は、最初から自分の中にしか存在していなかった。
「有川陽大」という名前をまとったとき、
初めてその壁を少し壊せた気がした。
新しい名前が、新しい自分への許可証になった。
4歳のネイサンが教えてくれた「間違えていい」という真実
ニュージーランドのホームステイ先に、
4歳のネイサンがいた。
文法はめちゃくちゃ。
発音も不正確。 でも毎日、楽しそうに話していた。
両親と笑い合い、気持ちを伝え合っていた。
その姿を見て、私の中で何かがストンと落ちた。
正確さじゃない。完璧さじゃない。
伝えようとする気持ちがあれば、言葉は動く。
私が何年もかけて悩んできた吃音の答えが、
4歳の子どもの話し方の中にあった。
間違えていい。
下手でいい。
どもってもいい。
伝えようとする心があれば、それで十分だ。
その感覚を体で知ってから、人前に立つときの構えが変わった。
吃音は完全には治っていない。
今でも緊張すると出ることがある。
でも「間違えていい」と思えるようになってから、
消えたいと思う夜が減っていった。
誰も読まなくていい。それでも書いてほしい

このブログを書いていて、何度も思った。
誰も読まなくていい。
それでも書く価値がある、と。
なぜなら、書くことで自分のストーリーの主人公になれるから。
あなたにも、書いてみてほしい。
過去のことを。
逃げたことも。
恥ずかしかったことも。
泣いた夜のことも。
日記でも、メモでも、ブログでも。
誰かに見せなくていい。
うまく書けなくていい。
書くことで、あなたは30年前の自分に会いに行ける。
そしてきっと気づく。
あの日の自分が、どれだけ必死に生きていたかを。
その必死さが、今のあなたを作っていることを。
過去否定論から、過去オールオーケーへ。
その変化は、書くことから始まる。
あなたが存在するだけで、それはもう価値がある

私には価値がないと感じている人に、最後に伝えたい。
学校の点数は、あなたの価値じゃない。
話す上手さも、仕事の成果も、
体の丈夫さも、あなたの価値じゃない。
あなたという人間が、この世界に存在していること。
それだけで、もう価値がある。
吃音があっても。
鬱になっても。
逃げた過去があっても。
名前を変えても。
それも全部ひっくるめて、あなただ。
そしてそれは、誰にも真似できないストーリーだ。
57歳になった今も、私は完璧じゃない。
どもる日もある。落ち込む日もある。
うまくいかない日もある。
それでも続けてこられたのは、
「完璧じゃなくていい」とようやく気づけたからだ。
あなたが今日も生きていること。
それが、何よりも輝いているストーリーだ。
消えなくていい。
逃げてもいい。
どもってもいい。
あなたはここにいていい。


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