入野ラフターヨガクラブ10年目の解散|主役は生徒さんだと気づいた日【57歳・笑いヨガ講師の実話】

人生再起・生き方

入野ラフターヨガクラブが、10年目で解散した。

Sさんが発足してくれたクラブで、

私は講師として月2回、笑いヨガを届けてきた。

10年間、たくさんの方が笑ってくれた。

でも終わり方は、決して美しくなかった。

今日はその話を正直に書きたいと思う。

失敗談だ。

でもこの失敗があったから、今の私がいる。

8年目、Sさんから呼ばれた

8年目のある日、Sさんから「少し話があります」と呼ばれた。

「生徒さんから声が出ています。

そろそろ飽きてきた、もっと違う笑いヨガはできないのか、と。」

正直、頭が真っ白になった。

それからは試行錯誤の連続だった。

脳トレと笑いヨガを組み合わせた。

難しい漢字を読んでその答えで笑うゲームを取り入れた。

最初はウケた。

でもそれもすぐにネタ切れになった。

「なんかつまらないね」という空気が漂い始めた。

一人、また一人と辞めていった。

そのころの私は、エネルギーが落ちていた

実はそのころ、私自身が苦しかった。

家庭がうまくいっていなかった。

悩みを抱えたまま、笑いヨガの会場に向かっていた。

笑わなければならない。

でも心が重い。

その苦しさは必ず相手に伝わる。

エネルギーは正直だ。

どんなに笑顔を作っても、心の状態は空気として伝わってしまう。

東京や県外の笑いヨガクラブに足を運び、

交流を深めたり、新しいことを学んだりすればよかった。

でもお金がかかる。結局行かなかった。

今思えば、お金の問題だけではなかったかもしれない。

それだけの情熱が、すでに失せてしまっていたのだと思う。

師匠が笑いヨガを辞めた。

一緒に学んだ同期の仲間も、

次々と笑いヨガの世界を去っていった。

何のために笑いヨガをやっているのか。

そう自問する日が増えていた。

相談できる人がいなかった。

一人で抱えていた。苦しい作り笑いが続いた。

コロナが、終止符を打った

そしてコロナが来た。

笑いヨガはハイタッチが基本だ。

でも「怖いから触れないでください」という声が出た。

「もう辞めてください」という声も出た。

Sさんから連絡が来た。

「10年目、きりが良いところで解散にしましょう。

なおしさんには本当にお世話になりました。」

正直に言う。

残念半分、ホッとした半分だった。

苦しい状況が続いていたから、

解散という言葉に少し救われた自分がいた。

それが今でも引っかかっている。

私に足りなかったこと

10年が経った今、冷静に振り返るとわかることがある。

私に足りなかったのは、生徒さんに寄り添うことだった。

Sさんだけに意見を聞いていた。

生徒さん一人ひとりと話をしていなかった。

「どうしたらもっと楽しくなりますか?」と聞けばよかった。

「今日はどんな気持ちで来ましたか?」と声をかければよかった。

テレビに出演したこともあった。

少し有名になった気がしていた。

うぬぼれがあったかもしれない。

先生という立場に甘えていた。

でも笑いヨガの主役は講師ではない。

生徒さんだ。

その場に来てくれた一人ひとりが主役だ。

それを忘れていた。

失敗があったから、気づけた

10年間の解散は、私にとって大切な教師になった。

うまくいかなかった経験があるから、今の私がある。

苦しい作り笑いを続けた経験があるから、本物の笑いの大切さがわかる。

生徒さんに寄り添えなかった経験があるから、

今は一人ひとりの顔を見るようにしている。

何のために笑いヨガをやっているのか迷った経験があるから、

今は答えがはっきりしている。

人を笑顔にするためだ。

目の前の一人を笑顔にするためだ。

今週も笑いヨガ教室がある。

主役は生徒さんだ。

その気持ちを忘れずに向かいたい。

まとめ|10年間、ありがとうございました

入野ラフターヨガクラブの皆さんへ。

10年間、本当にありがとうございました。

うまくできなかったこと、寄り添えなかったこと、

今でも心に残っています。でもあの10年があったから、今の私があります。

笑いヨガを続けてきてよかった。

これからも、主役は生徒さんという気持ちを忘れずに、

一人ひとりに寄り添いながら笑いヨガを届けていきます。

今日も笑って生きましょう。

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