結論:大切なのは「不安」より「今、何ができるか」を問うこと
母がここ10日間で2度、転倒した。正直、動揺した。
「施設に入れた方がいいのか」
「自分に負担がかかりすぎているのではないか」——
そんな考えも頭をよぎった。
けれど、この出来事を通して私が一番強く感じたのは、
不安に飲み込まれることよりも、
「今、母のために何ができるか」を問い続けることの方が、
ずっと大切だということだった。
理由:3年前の大腿骨骨折から、少しずつ増えていた不安
母は3年前に大腿骨を骨折し、それ以来、歩行器での生活になった。
足が思うように上がらない時があったり、
手の握力が弱くなってきたり、
日常生活の中に少しずつ支障が出てきていた。
それでも母は、今まで工夫しながら乗り越えてきた。
今回の2度の転倒も、そうした体の変化の延長線上にあったのかもしれない。
だからこそ、原因を一つに決めつけるのではなく、
「体の変化に寄り添いながら、できることを増やしていく」
という視点が必要だと感じている。

具体例①:値札を引っ張った勢いでの転倒
1度目は、母がハンガーの値札を取ろうとして、なかなか取れず、
そのまま引っ張った勢いで転倒した。
2階にいた私は「ズドン!」という、
いつもとは違う音を聞き、これはただ事ではないと感じて、
すぐに階段を駆け下りた。
母の部屋に行くと、床に倒れていた。
幸い、腰に少し青いアザができただけで、大きな怪我にはならなかった。
ほっとした瞬間だった。
具体例②:深夜、トイレの前での転倒
それから10日後の夜中12時過ぎ、
再び「ズドン!」という音が響いた。
飛び起きてすぐに階段を降りると、トイレの前で母が仰向けに倒れていた。
今度は頭を打ったという。
意識ははっきりしていたが、頭を打った直後だったため、
しばらく動かさずに、そっと頭に触れながら様子を見た。
「おしっこに行きたい」という母の声で、両腕を支えて起こし、
トイレの前で待った。内出血はなく、小さなコブができた程度だったが、
「頭が重い」という言葉が気になり、救急車を呼ぶことを提案した。
しかし母から「それだけは絶対にやめて」と強く言われ、その気持ちを尊重した。

2つの出来事から見えた、2つの考え方
同じ出来事でも、見方は変えられる。
- 不安な見方:また転倒してしまった。施設に入れるべきか。自分の負担が増えるのではないか。
- もう一つの見方:2回とも、私はすぐに気づいて、すぐに駆けつけられた。それだけで母に安心感を与えられた。それは、良かったことだ。
どちらの見方もできる出来事だからこそ、
どちらを選ぶかは自分次第だと感じた。
結論:根っこにあったのは、愛だった
母の体がどうしたら少しでも楽になるか。
ずっとそれだけを考えていた。
ご先祖様や神様が守ってくれたのだと、
心からそう思う瞬間もあった。
けれど、現実を動かすのは、祈りだけではない。
「今、何ができるか」を問い、
そして実際に行動に移せるかどうか。
それこそが、この出来事を通して私が学んだことだった。
その問いの根っこには、いつも「愛」があった。


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