「消えてしまいたい」と思ったことがある人へ|鬱を経験した57歳が正直に話すこと

自己肯定感・メンタル

「消えたい」という気持ち、あなたにもありませんか。

死を望んでいるわけじゃない。

でも、今ここから、そっと消えてしまえたら——

そう思ったことが、私には何度もあります。

それは弱さじゃない。

限界まで頑張ってきた人が、

心の底から発するSOSだと、今の私は思っています。

57歳。笑いヨガ講師17年。

吃音と鬱を抱えながら生きてきた一人の人間として、

今日は正直に話させてください。

死にたいわけじゃない。ただ、消えたかった。

私の吃音は「難発」といって、言葉が出てこないタイプです。

一人でいるとき、家族と話すとき、リラックスしているときは出ない。

笑っているときも、比較的楽に話せる。

でも——初対面の人と話すとき、

大勢の前に立つとき、

緊張やプレッシャーを感じた瞬間に、突然やってくる。

「で、で、でも……お、お、おれさ~」

せっかく盛り上がっていた会話が、

一瞬で止まる。相手の顔が、ほんの少し変わる。

その0.1秒を、私はスローモーションで見ていた。

また出た。

また止まった。

また、見られた。

消えてしまいたかった。

本当に、その場から消えたかった。

どもりをごまかすために、早口になった

だから私は、ごまかすことを覚えた。

早口にすれば、どもりが目立たない——

そう気づいてから、とにかく速く話すようになった。

でも今度は別のことを言われるようになった。

「早口で何言ってるかわからない」

どもっても指摘される。

早口にしても指摘される。

どうすればいいんだ。

その繰り返しの中で、消えてしまいたいという気持ちが、

じわじわと積み上がっていった。

頭の中は、常に”次の言葉の検索”をしていた

吃音を抱えて会話するということは、

二つのことを同時にするということです。

ひとつは、相手の話を聞くこと。

もうひとつは、どもらないために

「次の言葉をどう始めるか」を常に計算すること。

「お」から始めるとどもりやすい。

じゃあ「自分はさ」から入ろう。

いや、「じ」も詰まるかもしれない。

「実はさ」は? いや……。

会話しながら、頭の中ではこんな検索が止まらない。

だから、相手の話が半分しか入ってこないことがあった。

ある日、知人にこう言われた。

「お前、人の話聞いてないよな」

違う。聞きたかった。全部聞きたかった。

でも、頭がどもらないための準備でいっぱいで、

それどころじゃなかった。

そう言い返すこともできなかった。

その夜、一人で泣いた。

努力しても、大事な場面では出る。その絶望感

毎朝、録音して聞いて、またやり直して。

ゆっくり話す練習、腹式呼吸、視線の置き方——

できることは全部やった。

一人で練習しているときは、うまくいく。

リラックスしていれば、普通に話せる。

なのに、大事な場面になると出る。

初めての人の前では出る。

プレッシャーがかかると出る。

努力しているのに、肝心なときに裏切られる。

その絶望感は、じわじわと自尊心を削っていく。

なんで自分だけ。

これだけやっても、変わらない。

もう、消えてしまいたい。

その気持ちが積み重なって、

鬱の入口になっていったと、今は思う。

デイサービスで気づいた、「ゆっくり話す」という答え

転機は、意外な場所から来た。

デイサービスで笑いヨガをするようになったとき、

利用者さんは80歳以上の方がほとんど。

早口では伝わらない。

聞こえない。

だから自然と、ゆっくり、大きな声で話すようになった。

そうしたら——どもりが出なかった。

早口でごまかそうとするから、

かえって詰まっていたのかもしれない。

ゆっくり話すことを、

80歳以上のおじいちゃんおばあちゃんたちが、

笑顔で教えてくれた。

「先生の話、わかりやすいよ」

その言葉が、胸に刺さった。

どもりをごまかそうとして早口になっていた私が、

ゆっくり話すことで「わかりやすい」と

言われる日が来るなんて、思ってもみなかった。

気にしていたのは、自分だけだった

もうひとつの転機は、友人の一言だった。

「俺のどもり、やっぱり気になる?」

友人は少し考えてから、こう言った。

「正直、あんまり気にしてなかった。

それより、お前が楽しそうに話してるかどうかの方が気になってたよ」

その言葉で、何かがストンと落ちた。

私は何年も、他人の視線を恐れて生きてきた。

でも実際は、多くの人が私のどもりよりも「私自身」を見ていた。

気にしすぎていたのは、自分だった。

プライドが高かったのかもしれない。

完璧に話したかった。

どもらない自分でいたかった。

でもその「完璧でなければ」

という気持ちが、自分を一番苦しめていた。

それに気づいたとき、

消えたいという気持ちが少しだけ、軽くなった。

「消えたい」は、本当の自分への入口だった

消えたいという気持ちは、弱さじゃない。

それは「今の状況に、本当は納得していない」

という、魂の正直な声だと私は思う。

消えたいほど苦しいということは、

それだけ真剣に生きてきたということ。

私は吃音と鬱を抱えながら、17年間人前に立ち続けた。

うまく話せない日も、早口を指摘された日も、

消えたいと思った夜も——それでも続けてこられたのは、

「完璧じゃなくていい」とようやく気づけたからだと思っています。

あなたが今、消えたいと思っているなら。

それはあなたが弱いからじゃない。

ただ、今がとても苦しいだけ。

その苦しさを、誰かに話してもいい。

ここに書いてもいい。

声にならなくてもいい。

消えなくていい。

あなたはここにいていい。

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